豊島区で建設業を初めてレイクを使い廃業するかどうか大いに悩んだ
豊島区在住 H.Mさん(35歳)
若いうちからチャレンジしていく事が多かったんで、こういうふうに経営者になれたんだと思いますけど、一時はホントに危なかった時期がありました。先輩に今そういう話をしたら「みんなそういうことは絶対にあるよ。うちでも倒産危機は何度もあった」と打ち明けてくれたりします。
そんな綱渡りの経営をしてきた私の倒産をしそうだった時期というのはつい最近、4年くらいまえでしょうか。ほんとに危なかったと思います。
20歳から働き始めて3年間現場仕事をするようになってから、お金を貯めて同じように現場仕事をする人たちを集めたり、仕切ったり企画をしたりするような、工務店を作ったのです。最初の受注はおばあちゃんの家の修理だったのを覚えています。同じ豊島区の家でした。
小さい仕事をとりながらも、工務店同士のつながりなども作ってすこしずつ仕事を取れるようになってきた時のことでした。がくっと仕事がなくなったんです。幸い個人ベースの仕事はいくつかありましたが、大きな公共事業などがほとんどなくなりました。
ちょうどその時政治が動いたらしく公共事業を減らそうという動きになったみたいです。だから私以外にも小さいところの工務店は店じまいをするところも多くて、仲間がどんどん減っていくようで寂しい思いでした。
そんな時に私はレイクを使って耐え忍びました。レイクを使って十分耐えられたのは税金での仕事にあまり頼っていなかったというのが大きかったのかもしれません。また従業員もほとんどいませんから、耐えられたのでしょう。
でもさすがにその時は廃業しようかって言うことも悩みましたよ。お金をレイクで借りるよりも、どこかの土建屋で働いて給料をもらったほうがきっといい生活ができていたと思います。でも先輩たちが助けてくれて、今があるんだと思います。
まぁもう終わった話ですけどやっぱりああやって公共事業を叩いて、一気に廃業を増やしたのはやめて欲しかったなと思います。私達も残った仲間で助け合っていますが、今の日本だといつ辞めるかわからないですよ。